「有機」と聞くと、体に良さそう、自然、安心。
一方で「化学」と聞くと、人工的、危険、よく分からない。
そう感じる人は、決して少なくないと思います。
では、「有機化学」という言葉はどうでしょうか。
世間的には、「良さそうな言葉」と「悪そうな言葉」を無理やり組み合わせた、少しちぐはぐな名前に見えてはいないでしょうか。
有機化学を専門にしている立場から見ると、この違和感はとても興味深いものです。
この記事では、なぜ「有機」と「化学」が反対語のように受け取られるようになったのか、そしてその中で有機化学をどう理解すると、少し見え方が変わるのかについて整理してみたいと思います。
「有機=良い」「化学=悪い」という感覚はどこから来たのか
まず大前提として、「有機=良い」「化学=悪い」というイメージは、科学的な定義から直接生まれたものではありません。
日常生活の中では、
- 食品表示
- 広告
- ニュース報道
- 過去の公害や事故の記憶
といったものを通して、言葉の印象が少しずつ形作られてきました。
「有機」という言葉は、
自然、人の手があまり加わっていない、昔ながら、といったイメージと結びつきやすい一方で、
「化学」は、人工的、難しそう、事故やトラブルのイメージと関連づけられることが多かったように思います。
この段階で、「有機」と「化学」は意味というより感情のレベルで対立してしまっています。
有機化学者にとっての「有機」と「化学」
ここで、少し専門家側の視点を紹介します。
有機化学者にとって「有機」とは、炭素を中心とした化合物を扱う、という分類上の言葉です。
それ自体が「安全」や「危険」を直接意味するものではありません。
同様に「化学」も、物質の性質や変化を理解し、予測し、制御しようとする学問であって、危険性そのものを表す言葉ではありません。
有機化学を学んでいる人間の頭の中では、「有機」と「化学」は対立する概念ではなく、むしろごく自然に並び立っています。
それでも社会では、この二つが反対語のように見えてしまう。
このズレが、さまざまな誤解の出発点になっているように思います。
なぜこのズレが生まれたのか
このズレの背景には、物質そのものと、その使われ方や条件が混同されやすいという問題があります。
社会では、事故が起きたとき、健康被害が疑われたとき、不安をあおる出来事が起きたときに、「化学」という言葉が強調されがちです。
一方で、日常生活の中で当たり前のように使われている化学の成果は、あまり「化学」と意識されません。
結果として、
- 問題が起きたときだけ化学が目立ち
- うまく機能しているときの化学は見えなくなる
という構図が生まれます。
この積み重ねが、「化学=怖い」という印象を強めてきたのではないかと思います。
有機化学はどこに位置づけられるのか
では、有機化学はこの構図の中でどのような立場にあるのでしょうか。
有機化学は、単に物質を「作る」ことだけを目的とした学問ではありません。
反応条件、量、環境、再現性などを細かく考えながら、何が起こり得るのか、どこにリスクがあるのかを常に意識します。
有機化学者は、何が起こりそうか、どこが危ないか、どこまで制御できるかを考え続けながら判断しています。
その意味で、有機化学は、危険と無関係な学問でも、危険を軽視する学問でもありません。
むしろ、不確実な状況をどう扱うかを考える学問だと言えると思います。
「有機化学」をどう理解すると、見え方が変わるか
もし「有機化学」を、良いか悪いか、安全か危険かといった二択で理解しようとすると、どうしても違和感が残ります。
有機化学とは、
物質と条件と人間社会の間で、
どこまでをコントロールできるのかを考え続ける営み
と捉えてみると、少し見え方が変わるかもしれません。
「有機」と「化学」が反対語に見える社会だからこそ、その間に立つ有機化学という学問の役割は、実はとても社会的なものなのではないかと思います。
実際、私が行う研究の1つである新薬の開発研究は有機化学を扱いますが、とても社会との関わりが深いと思います。
おわりに
「有機=良い」「化学=悪い」という感覚そのものを、無理に否定する必要はないと思います。
ただ、その感覚がどこから来たのか、そして専門家は何を見て判断しているのかを知るだけで、言葉の見え方は少し変わります。
少なくとも有機化学を学んできた立場から見ると、
有機化学は、
物質と条件、そして社会との関係をどう考えるかを
常に問い続けてきた学問だと感じます。
この記事が、化学と社会との距離をほんの少し縮めるきっかけになれば嬉しいです。
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